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旧谷村線推定No.332

今回からは2023年3月の探索レポートとなります。

この日は、ここに来るまでの詳細は省きますが、大垂水峠から南高尾山陵に入り、大洞山を経由して中沢山に向かいました。この付近には東京電力新多摩線やJR東日本八王子大月線が走っていて、巡視路らしき分岐道もいくつかあったのですが、時間も遅くなっていたので真っ直ぐ旧谷村線鉄塔に向かいました。すると、登山道上にJR東日本八王子大月線 八王子-上野原No.52があらわれました。

登山道上にあるJR東日本八王子大月線 八王子-上野原No.52

この鉄塔のところから、中沢山山頂に行く登山道が出ていたので、ここを進みます。なお、この登山道を見逃してしまってもこの先にもう1箇所中沢山山頂に行く登山道があります。

JR鉄塔のところから中沢山山頂に向かう

すると間もなく、中沢山の山頂に着きます。494メートルって低いですが、低山であっても山。舐めてかかってはいけませんね。しかもこの日は時間が遅くなっていたので、すでにすれ違う人もほとんどいませんでした。大垂水峠からここまでに1人だったかな。もしここで遭難してしまったら、発見してもらえない可能性が高いということです。

中沢山の山頂

ここから、この近くにある旧谷村線鉄塔に向かいます。この場所は一度来たことがあるので、だいたいの場所はわかっていました。ここから鉄塔の足元までは3本の動画でお見せします。

動画1
動画2
動画3

鉄塔の足元まで来ました。この鉄塔はゆっくり観察したくなります。

鉄塔の隙間から木が生えていた。現役の鉄塔ではあり得ない。
鉄骨に木が挟まっていた
巻きついている木もあった
結界

近くには碍子の破片も落ちていました。JR鉄塔の近くにもありましたが、あちらは配電用碍子っぽかったので省略。

碍子の破片

碍子の破片には1935と何かのマークがついているものもありました。1935年ということでしょうか。旧谷村線は大正2(1913)年なので、1935(昭和10)年だとしたら二代目以降ということになります。

1935と書いてあった

この鉄塔のある場所は正規の登山道ではなく一段上にある作業動的なところですが、登山道からもよく見えていました。最初に来たときは見逃して随分先まで行ってしまいましたが、慣れていなかったからなのか、季節的な理由で葉が茂っていたからなのか。

登山道から見える位置にあった

位置情報は以下となります。


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