湖底に沈んだ村-水没するわがふるさと沼本部落を語るー http://yanen…
2026年2月(3回目)の探索レポートとなります。
前回の記事では、津久井湖の北側にある旧谷村線推定No.325と推定No.326と思われる鉄塔を津久井湖の本来湖底である場所から遠望で確認しました。
帰宅後、撮影した写真を改めて精査していたところ、推定No.325と推定No.326以外にも旧谷村線鉄塔が写り込んでいることが発覚しました。まずは前回記事の最後に掲載した写真から。

この新たに見つけた旧谷村線鉄塔は、先端付近から左側に鉄棒が出ているように見えます。そうだとすれば、津久井湖の南側にある双子鉄塔である旧谷村線No.323甲乙と共通しており、長径間で津久井湖を渡る両側が双子鉄塔だった、と考えられそうです。もっとも、双子鉄塔だとしたら片方しか見えていないことになります。

もう少し、これまで撮影した写真を見てみます。


新多摩線No.55の右下には白い横線が写っていますが、長期間通行止めになっている県道515号線のガードレールです。新多摩線No.55やその右下にある2つの旧谷村線鉄塔は県道より上に、今回新たに見つけた旧谷村線鉄塔は県道より下にありそうです。
ということで、複数の写真に明らかに写っているのでわざわざ行く必要もなかったのですが、別の理由でもう一度行きたかったので、2026年2月3回目の津久井湖訪問をすることにしました。


津久井湖の湖底も2回目となれば慣れたもので、さっさと進みます。読者の方も、そろそろ慣れてきた頃でしょうか。



今回確認したこととして、新たに見つけた鉄塔は写真判定だけでなく肉眼でも見えていました。
さらに近づいてみます。木々があるためか、近づいたからと言って見やすくなるわけではないようです。


ん?

今回見つけた新多摩線No.55の左下にある鉄塔は双子鉄塔が疑われるものの、見る位置を変えるなどしても1基しか見ることができませんでした。双子の片割れであるもう1基は樹木に埋もれていて見えないのか、あるいは何らかの理由で撤去されてしまったのか。そもそも双子鉄塔ではないということも考えられます。過去にこの区域の旧谷村線鉄塔を探索して情報を公開している人がいらっしゃるのですが、その方の情報には津久井湖北側の双子鉄塔はありませんでした。
そこで、国土地理院のウェブサイトで公開されている1961(昭和36)年の空中写真を見てみます。前提条件として、津久井湖は1961(昭和36)年に工事が始まり1965(昭和40)年に完成しているので、空中写真には写っていないです。その代わりというか、現在は津久井湖に半分水没している沼本ダムが写っています。また、紅白鉄塔が目立っている東京電力の新多摩線は1980(昭和55)年にできているので、やはり写っていないです。

問題の箇所を拡大してみます。

沼本ダムは現在も津久井湖に半分水没しながら稼働しているダムです。その左側に、現在でも接近することができる旧谷村線No.323甲乙が写っています。3点あるように見えますが、一番下は倉庫等の建造物と考えます。そして相模川の対岸には、これまた見づらいですが、双子鉄塔に見えるものが写っています。そしてこの鉄塔は、現在の県道515号線より下(川側)にある、ということもポイントです。その次の鉄塔は道路を跨いで描かれているようにも見えますが、これもまた何か別のものが一緒に写り込んでいると考えます。
って都合よく解釈しすぎてないか?と思うので、昭和34年の空中写真も見てみます。ちょっと解像度が低いのですが・・・

これだと全然わからない!と思われる方はぜひ国土地理院ウェブサイトにある元の空中写真から、解像度の高いオンライン閲覧所を開いて見てください(利用登録が必要です)。オンライン閲覧所で見ることのできる空中写真には旧谷村線No.300からNo.344まで一部を除き写っていますので、旧谷村線の鉄塔位置を知りたい方は必見です!
さて、どうでしょう。沼本ダムの右側にある旧谷村線鉄塔、順番からすると推定No.324は双子鉄塔であることがお分かりいただけたでしょうか。
そしてもう1点、この付番であればこの先南高尾山陵を越えて東京都八王子市に入った中沢川沿いまで鉄塔番号が順番であることがわかるのです。もっとも、先人が見たとしている鉄塔番号が1箇所間違っていることになりますが。
次回は、もう一つ見つけてしまった山の上の鉄塔を紹介します。
湖底に沈んだ村-水没するわがふるさと沼本部落を語るー
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このページの写真には両岸に双子鉄塔が建っているように見えます。